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長男が生まれるとき

自然分娩が可能かどうか心配されるほど大きく育っているのに、陣痛が全く来ないまま予定日を1週間過ぎた。病院の勧めで薬を使って陣痛をおこすことにして、前日から準備の為入院。とりあえず荷物を片付けて、明日の時間を確認して夫も両親も帰宅して1時間ほど経った頃、突然破水。陣痛が弱いまま、普通分娩ということになった。
陣痛が弱いので、私は周りの妊婦さんに比べたら落ち着いたものだったけれど羊水がにごってしまっていて、生まれるまでの段取りが少し周りと違うので不安だった。最後は弱い陣痛を医者の腕力でおなかを押して助けてもらって産んだ。


産まれるなり、逆さにされたまま、背中をたたかれ口から管を入れられて飲み込んでしまったものをとにかく吐きなさいと助産婦さんに声がけされているわが子。「泣かないんですか」と声を発するしかない私。助産婦さんが、「大丈夫、処置してるから泣けないだけでちゃんと泣けるから。」と、管をはずしたらダミ声で泣き出した。赤ちゃんはへその緒を首に巻いていた。なんだかうまく進まなかったのはその影響もあったらしい。感染症も心配され、入院中、検査項目が多くなるので、採血の後の絆創膏が、多くはられていることがあるけれど検査結果さえ大丈夫なら心配はないといわれた。


分娩室を出たぐらいからら歯がガチガチ言うほどの震えが止まらず、我慢していたけどしゃべりにくくて会話がうまくい行かず困っていると夫が、変じゃない?と言い出し私に触るなり、ひどい熱だという。私が、感染症で熱を出してしまっていた。大きらいな子供のせいでこんなに大変だった。でも、この間、心配なのはこどものことだけ。不思議だ。

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| わたしのこそだて | 18:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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こどもが産まれるまで

結婚してから1年たたないうちにこどもを授かった。できてしまったという気持ちになったのは事実。その不安な気持ちが、体調に現れたのかと思うほどひどいつわりが始まった。吐いてばかりいて何も食べたくない。水に変な匂いを感じるようになってしまって飲み物が飲めない。その匂いのためにお風呂に入るのも辛い。すっかり病人のようになり、入院もした。仕事が忙しい夫は、面倒を見切れないと言葉がきつくなり、ますます私は体調を崩すことになり、実家に身を寄せることになった。


迎えに来てくれた母が、二人とも(母子共)死んでしまうんじゃないかと思った、というほど私は様子がおかしかったらしい。毎日が憂鬱で、うつ病になったんじゃないかと思うほど辛い辛い期間だった。何の理由があるかもよく分からないまま、離婚という言葉も浮かんだ。おなかの中のこどものせいでこんなに辛い目にあっていると思った。私の場合、何も食べられないというのは少し軽減したものの、吐き気と水分がとりにくい状態は、生まれるまで続いた。


でも、嫌いなはずのこどもが、私の心をギリギリのところで保たせてくれていた。私は、とにかくすべてが不調だったけれど、「おなかの子供は、順調です」、と告げられると全部のことを、まぁいいか、と我慢できた。乗り越えるほどの気力はなくなっていたけれどじっと耐え忍ぶことはできた。生まれてきたとき、恨み辛みの塊のように思ったりしませんようにと自然に願っていた。

| わたしのこそだて | 18:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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私も小学生だった

子供を産んでから、「この子ぐらいの時の記憶はないな・・・」「このころ私はこんな生活をしてたな・・・」なんてことを考えるようになった。「母も小さな私の横でこんなこと考えたかな・・・」とか。
自分の記憶を人と比べたことはないけれど、小さな時の事をずいぶん細かく覚えているものだなと思う。

だからということではないのだけれど、自分の子供達の姿が、小さかった頃の自分と重なってしまうことがある。自分の子供を通して自分自身を見ているような気持ちになる。でも、手が届きそうで届かない。自分の子供だけれど、自分自身ではないから当たり前だ。

私は、少しずつ少しずつ、時間をかけて今の私になった。そしてえらくなったんじゃなくてただ、「大人」に成長した。時間をかけて身に付けたキャリアを活かさなくてどうする!私は、現場で子供としてのキャリアをつんできたというのに。

「ちょっとまって!わたしだって今考えてる!」よく思っていた。いっぱい考えていた。

待っていよう。ゆっくり待っていよう。休む場所を作って待っていよう。

見ていよう。じっくり見ていよう。振り返ったとき視線が受け止められるように見ていよう。

子供達には、手も、口も、時には、げんこつも出してしまうあわただしい日常で、カリカリしてくることもしばしば・・・。

私の決意はどこへやら・・・ってこともとても多い。ましてや、このぐうたらな私、まっているのか、ほったらかしなのかもあやふやだ。それでも、私の決意も努力も何にも必要なかったな~と思えるくらいまっすぐ前を向いて前進していってくれることを祈る、祈っているだけの私なのだ。




| わたしのこそだて | 13:19 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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こどもが嫌いでも産むの?

小学生くらいの頃には、すでに小さい子は嫌いだった。すぐ泣くし、しつこいし、うるさいし。
ごっこ遊びなんかで、お母さん役をやって小さな子の面倒を見ている同級生の行動なんて理解できなかった。そんな遊びは大嫌いだった。


そんな私でも、結婚を考えるようになったものだから、自分に子供ができたときのことを考えるようになった。
夫は、結婚すると子供が産まれるというのが当たり前すぎて、そのことについて考えたこともない人だと私は思っていたし、父母も孫の誕生を楽しみにしたりするだろうと思った。だから、こどものいる生活は嫌だと思うなら、結婚する前に、産みたくないとはっきり宣言しなくてはいけないだろうと思った。


自分の子供ってどんなものなのか興味がないわけじゃない。子供は産みませんと断言するには自分の気持ちが弱い。子供がきらいなんだから、虐待で子供を死なせてしまうような事はしないだろうか。興味がなかったのだから、無知すぎて育てられないのじゃないだろうか。産みたくありませんと宣言するほどの覚悟が出来なかったので、運を天に任せてしまった。但し、授かった場合の覚悟を決めて。




| わたしのこそだて | 18:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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